06/10: ものを書くこと
Category: 受験コラム
Posted by: tosho
吉村充弘 教養学部文科2類1年
読者のみなさん、こんにちは。ブロガーの吉村です。
今回は、「ものを書くこと」についてお話しようと思います。
読むほうでよく言われることですが、ここ20年ほど、活字離れに警鐘を鳴らす人が多くいます。確かに、読書量は昔の人に比べて明らかに減っているのでしょう。私は、本を読むのは好きなほうですが、それでもいかめしい顔をした古典などはなかなか読む気が起きません。実際、東大生であっても漫画や家庭教師・塾講師の予習用の本しか読まないという人もかなりいるのではないでしょうか。(一番最悪なケースは家庭教師もやっておらず、東大の図書館に行っても読むのは漫画ばかりというパターンでしょう。)みなさんは、どのくらい本を読まれるでしょうか。
ものを書くことの話をしようとしてなぜ読書なの?ボケが来てるんじゃないの?と思われた方がいるかもしれません。たしかに、私も東大というモラトリアム組織に入り、家庭教師等の頭脳系の仕事もやっていないとなると記憶力や思考力が落ちていくのではないかと心配していますが(笑)、まあまだ直近に言ったことをすっかり忘れるまで退化していないと信じています。
前置きが長くなりましたが、読書と書き物は関係があるのです。みなさんが誰しも通ってきた赤ちゃんの頃、誰も「今日は読解をやろう」「今日は作文だ」とかいって日本語を習得した人はいませんよね?(もしそのような方がいらっしゃったら、お詫び申し上げます。)自然に、読み書きとヒアリングを同時に学んできたわけです。このようにバランスをとることは、人間にとってどんな言語を学ぶときにでも最良の方法らしいです。読む能力・書く能力・聞く能力・話す能力(実は話す能力は書く能力に極めて近いですが)、この4つはお互いに連関しあって発達するものなのだと思います(科学的根拠があるのかは、発達科学の専門家でないのでわかりませんが)。たとえば、秘術を持つ家庭教師に教えてもらって東大の後期試験に受かるレベルまで書く能力を上げたけれど、読む能力は小学3年生レベルだったら、どんなにその家庭教師が魔術を持っていたって東大には普通合格しません。なぜなら、読んで課題文を理解する力がないからです。
なぜ、ここでこのような極端な例を出すかというと、現在の活字離れ社会は、これをもっと小さな規模でやったものだからです。本を読まないから知識が少なくて書くときの創造力の源泉が得られない。また、書かないから、文章に慣れず、文章のおもしろさがわからず、読まない。これのスパイラルなわけです。国語ができるできないじゃありません。所詮、国語って言うのは出題者の独善的理解を受験生がどれだけ推測できるかという問題で、本当の意味で日本語をうまく運用できているというのとは全くもって違います。
もし、日本語をうまく運用できれば、本も楽しみながら読めるし、そうすると文章も書きたくなってくる。文章を書くと、また筆者の気持ちがわかったりすることも合って、本を読むのが楽しくなる。こんないい方向にスパイラルを巻きなおしていくことが今、求められているのだと思います。
将来、「港区で家庭教師募集中」という文字を見て、理解できないし、魅力的な紹介文もつけれない大人が増えないように、みなさんも帰り道の本屋で目に付いた文庫を手にとってはいかがでしょう。
吉村充弘 教養学部文科2類1年
読者のみなさん、こんにちは。ブロガーの吉村です。
今回は、「ものを書くこと」についてお話しようと思います。
【活字離れ】
読むほうでよく言われることですが、ここ20年ほど、活字離れに警鐘を鳴らす人が多くいます。確かに、読書量は昔の人に比べて明らかに減っているのでしょう。私は、本を読むのは好きなほうですが、それでもいかめしい顔をした古典などはなかなか読む気が起きません。実際、東大生であっても漫画や家庭教師・塾講師の予習用の本しか読まないという人もかなりいるのではないでしょうか。(一番最悪なケースは家庭教師もやっておらず、東大の図書館に行っても読むのは漫画ばかりというパターンでしょう。)みなさんは、どのくらい本を読まれるでしょうか。
【読書と書き物】
ものを書くことの話をしようとしてなぜ読書なの?ボケが来てるんじゃないの?と思われた方がいるかもしれません。たしかに、私も東大というモラトリアム組織に入り、家庭教師等の頭脳系の仕事もやっていないとなると記憶力や思考力が落ちていくのではないかと心配していますが(笑)、まあまだ直近に言ったことをすっかり忘れるまで退化していないと信じています。
前置きが長くなりましたが、読書と書き物は関係があるのです。みなさんが誰しも通ってきた赤ちゃんの頃、誰も「今日は読解をやろう」「今日は作文だ」とかいって日本語を習得した人はいませんよね?(もしそのような方がいらっしゃったら、お詫び申し上げます。)自然に、読み書きとヒアリングを同時に学んできたわけです。このようにバランスをとることは、人間にとってどんな言語を学ぶときにでも最良の方法らしいです。読む能力・書く能力・聞く能力・話す能力(実は話す能力は書く能力に極めて近いですが)、この4つはお互いに連関しあって発達するものなのだと思います(科学的根拠があるのかは、発達科学の専門家でないのでわかりませんが)。たとえば、秘術を持つ家庭教師に教えてもらって東大の後期試験に受かるレベルまで書く能力を上げたけれど、読む能力は小学3年生レベルだったら、どんなにその家庭教師が魔術を持っていたって東大には普通合格しません。なぜなら、読んで課題文を理解する力がないからです。
なぜ、ここでこのような極端な例を出すかというと、現在の活字離れ社会は、これをもっと小さな規模でやったものだからです。本を読まないから知識が少なくて書くときの創造力の源泉が得られない。また、書かないから、文章に慣れず、文章のおもしろさがわからず、読まない。これのスパイラルなわけです。国語ができるできないじゃありません。所詮、国語って言うのは出題者の独善的理解を受験生がどれだけ推測できるかという問題で、本当の意味で日本語をうまく運用できているというのとは全くもって違います。
もし、日本語をうまく運用できれば、本も楽しみながら読めるし、そうすると文章も書きたくなってくる。文章を書くと、また筆者の気持ちがわかったりすることも合って、本を読むのが楽しくなる。こんないい方向にスパイラルを巻きなおしていくことが今、求められているのだと思います。
将来、「港区で家庭教師募集中」という文字を見て、理解できないし、魅力的な紹介文もつけれない大人が増えないように、みなさんも帰り道の本屋で目に付いた文庫を手にとってはいかがでしょう。
吉村充弘 教養学部文科2類1年
